THE OKURA TOKYO (オークラ東京)再訪 (3) 別館ほか
2019年 10月 13日
前半は新生「THE OKURA TOKYO (オークラ東京)」の前に建つ、たぶん東京五輪以降は取り壊しになるであろう「ホテルオークラ東京」(別館、南館、サウスウィング)の今の姿を。
部屋から真下のホテルのメインエントランス前、オークラスクエア、大倉集古館、右側に「ヘリテージウィング」、そして通りの向こうに見えるアメリカ大使公邸の写真です。
(すみません、少し部屋の中が写り込んでいます)
設計を担当したのはニューヨークのマゴニーグルと東京のアントニン・レーモンドで、レーモンドは庭園設計にも携わっています。施工は大林組が担当し、レーモンドと米陸軍工兵隊のG.D.スタンプ大尉の監督のもとで実施しました。
耐震設計は耐震工学の専門家の内藤多仲(ないとう・たちゅう)により指導されました。
戦後はダグラス・マッカーサー連合国際司令長官の住居としても使われ、昭和20年(1945)には昭和天皇とマッカーサーとの会談が行われました。
平成13年(2001)には在外資産として、米国国務省の重要文化財として登録されました。
それにセキュリティもありますしね、こんなに上から見えちゃうんでは。
レンズをもう少し上に撮れば、公邸の向こうには3つのお寺と墓地、そして「ANAインターコンチネンタル東京」が見えることになります。
さて、本題に戻ります。
また、ホテルをご利用される方のコミュニティプラザとなるという発想で日本初・会員制ヘルスクラブの新設、無公害ホテルを目指した最新の施設装備の新設など機能面での飛躍を遂げました。
横30m、縦4mの大壁面が天井高7mの吹抜けロビーに映えています。
また、本館ロビー同様に、オークラ・ランターンとして愛される古代の首飾りの切子玉型を源とする照明は、ロビー270坪の芸術の象徴として訪れるお客様に現在も変わらず、安らぎとゆとりを提供しております。
以下、後半は翌朝の「THE OKURA TOKYO (オークラ東京)」館内写真集です。
最上階ロビーの窓からの東京湾方面。
毎週週末は晴天の日が少なく、この日も曇ったままの1日でした。
アメリカ連邦政府の大規模工事(フーバーダムなど)、国家的工事では必ず陸軍工兵隊が設計、施工管理を行うように法律で決められています。
そのため工兵には陸軍士官学校の成績優秀者が配属されます。
理数系の成績が良くないと務まらないためで「歩兵や騎兵は馬鹿でも務まる!」と言われています。
陸軍士官学校で現在も破られていない最高成績で卒業したマッカーサー元帥も兵科は工兵でした。
>もうすでに大使はここには住んでらっしゃらないのかと思います。
ちゃんと家族とお住まいですよ。
先日退任されたハガティー大使もご家族でお住まいでした。
なるほど、そうなんですね。理解が深まりました。
いつもお教えいただいて有難うございます。
大使のご家族なども庭に出ることがあるでしょうに、セキュリティ上大丈夫なんでしょうか。